『雲の上の縁人紹介』5人目は、長年に渡って文化協会の会長として、
梼原の文化に携わり、現在も魅力的な活躍をなさっている久岡 智子
(ひさおか ともこ)さんです。
智=久岡智子さん, 雲=雲の上の図書館
雲:今日はよろしくお願いします。智子さんは長年に渡って文化協会の会長として、
梼原の文化を牽引してこられました。また、コーラスグループや俳句の会に参加
されて日々忙しく活動されていますね。
智:はい。若い時から色々なことに興味を持ち、たくさんの人と繋がりながら過ごす
ことが好きでした。
雲:活動を通して周囲の人を元気づけたり、新しい試みを見せてくれる智子さんは、
梼原になくてはならない存在です。智子さんは梼原町のご出身ですか?
智:はい。中学3年の夏まで梼原で過ごしましたが、高校生になるタイミングでどう
しても外の世界に出たいと思うようになりました。編入試験を受け大阪の中学に
転校し、そのまま大阪の高校を受験し入学したんです。
雲:それは思い切った決断でしたね。何か経緯があったのでしょうか?
智:その頃は自分に自信があり、外に行っても大丈夫、十分やっていけると思ってい
ました。
とにかく都会に出て、自分の力を試したいという気持ちが強かったと思います。
雲:大阪には馴染めたのでしょうか?
智:張り切って出て行ったのですが、実は高校1年の1学期を過ごしたのち、梼原に
戻ってきたんです。ホームシックもありましたが、大阪の高い学業レベルに挫
折したというのが本当のところです。
雲:梼原のお友達は驚いたでしょうね(笑)
智:何しに行ってたの?なんて言われました(笑)。ただその挫折を知ったことで、
今後の人生を梼原で前向きに頑張っていこうという気概が生まれました。
雲:若くして大きな挑戦と挫折を経験されたんですね。その頃を思い出すと、どんな
歌が流行していたのでしょう?
智:舟木一夫さんの「高校三年生」が発表された頃に、まさに私も高校三年生でした。
雲:その頃から歌うことがお好きだったのでしょうか?
智:はい。昔から音楽が好きで、中学校では先生に楽譜をいただいて、オルガンを
一生懸命練習したものでした。どんな形であれ音楽に携わっていたい、という思い
から、最初に着いた仕事は高知市内のオーディオ販売店でした。雲:それは素敵で
すね。ちょうどステレオのオーディオ機器が普及し始めた時代ですね。そのお仕事
は長くされたのでしょうか?
智:やはり梼原での生活が恋しくなり、あまり長続きはしませんでした(笑)。
よほど梼原の空気が体に合っているのでしょうね。
⛅
雲:日頃はどのように図書館を利用していますか?
智:本を借りて帰ると返却することがプレッシャーになるので、図書館で読書すること
がほとんどです。
雲:主にどんな本を読まれるのでしょうか?
智:高校生の時に手に取った「風と共に去りぬ」を読んで、梼原以外の世界の広がりを
知り、感動した経験があります。何度も読み返し、映画も見ましたが、やはり最初
に活字を追った記憶が最も鮮明で、今も忘れることができません。その頃に同じく
読んだ「大草原の小さな家」や「ジェーン・エア」などを再読したり、俳句の本を
読んだりします。
雲:雲の上の図書館が出来たときは、どんな印象でしたか?
智:図書館とは静かに読書する場所、という概念があったので、初めて入館した時の
BGMや賑わいに驚きました(笑)。1階フロアは会話オッケーということで、
開館当時は声のボリュームやマナーの面で食い違いもありましたが、段々と使い方
に慣れていった印象です。特に子どもの利用マナーはとても良くなったと感じます。
雲:独特な図書館であることで、子どもにも大人にも新しい経験をしていただいている
と思います。イベントに関してはどのような印象をお持ちですか?
智:梼原にいながらコンサートや映画に接する事ができ、とても嬉しいです。イベント
を企画される図書館スタッフの皆さんが強い意志と方向性を提示してくださる
ので、安心して鑑賞できます。また、自分たちの発表の場としても使わせてもら
えるので、やりがいを持って日頃の制作に打ち込めます。
雲:本日はありがとうございました。
智:オープン前はどうして梼原に図書館を作るの?という疑問が先立ちましたが、今で
はなくてはならない図書館だな、と感じています。これからも頑張ってください。
智子さんおすすめの本3冊を教えてもらいました📖