‶ゆすはらアーカイブ”ここは梼原の自然・歴史・文化を収集し、伝えるコーナーです。
雲の上の図書館では現在、梼原の文化や魅力を次世代に残すため、町の資料
のデジタルアーカイブ化を行っています。このコーナーでは、現在も更新作業中
のゆすはらアーカイブの中から写真をピックアップして紹介を行います。
第3回で紹介するのは「化粧坂トンネル」です。「けわいざか」「けしょうざか」
どちらの呼び方もある場所を通るトンネルで、高知県の津野町側から梼原町に来る
際は、太郎川にあるこのトンネルを通って中心街へとアクセスすることになります。
昭和51年に撮られた写真は化粧坂トンネルの着工から開通までの間の様子で、
開通してから現在まで、移動には欠かすことの出来ない道となっています。
ちなみに、このトンネルの上を通る旧道には六志士のお墓があるほか、昔ながらの
茶堂も存在しており、古くから交通には欠かせない場所だったことが伺えます。
『街道をゆく』で梼原を訪れた司馬遼太郎も、高知側から太郎川を通って梼原町に
来ています。
愛媛県側から来られた方でも、このトンネルを超えた太郎川にも見どころはたくさん
ありますので、是非通ってみてください。
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- 作成者:YCL編集部(米)
- カテゴリー: ゆすはらアーカイブ
昭和51年(1976年)
令和4年(2022年)
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第二回に紹介するのは、梼原の中心街にかかる橋と当時の消防演習の様子です。
写真を撮っている位置が変わってしまっていますが、古い写真の手前に映っている
橋が現在の写真で見た場合のアーチ状の橋、『梼原橋』の場所になります。
古い方の写真は昭和51年の消防演習の際のもので、現在と比べると消防車の形状が
大きく異なっていますね。消防車の形は変わっていますが、消防演習は現在でも毎年
行われている行事ですので、変わらない景色を見ることができます。
現在架かっている梼原橋は四つ角の際の整備と同様に、2000年代に新しく架けられ
た歩道と車道の分かれた橋となっていて、夏には橋から川へ飛び込む子供もいるよう
な、生活の一部になっている橋です。
今回ご紹介した写真に写っている”消防演習”は現在も梼原町を火災から守る大切な
行事の一つ。
昭和51年(1976年)の演習の様子は昭和51年8月1日発行の「広報ゆすはら」に記事
がありました。
雲の上の図書館では、広報の1号~最新号までを所蔵中です。
町のことを知りたい時には、お気軽に図書館まで!
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- 作成者:YCL編集部(木)
- カテゴリー: ゆすはらアーカイブ
‶ゆすはらアーカイブ”ここは梼原の自然・歴史・文化を収集し、伝えるコーナーです。
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第一回の今回紹介するのは、梼原町内で唯一の信号がある通称「四つ角」、
他にも交差点になっている場所は多くあるのですが、町内で四つ角と言われたら
だいたいこの場所のことを指して言われています。
写真は昭和51年頃と現在の四つ角を同じアングルから撮ったものになります。
奥には電波塔が変わらず立ち続けていますが、現在のマルシェゆすはらの場所
が森林組合だったり、昔の写真では道幅が狭かったりと現在とはかなり違った
風景になっています。
街並みが現在のように変わったのは国道440号線の拡張工事に合わせて行われた
まちづくりが始まりでした。『町のたくみによる再生物語の記録』ではこのまち
づくりの内容が詳しく書かれています。
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- 作成者:YCL編集部(米)
- カテゴリー: ゆすはらアーカイブ