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 本日10月31日は、ヨハネス・フェルメールの誕生日と言われています。

『真珠の耳飾りの少女』『牛乳を注ぐ女』などの名画で知られるフェルメールは

1632年( 今から390年前)オランダ南部のデルフトで生まれました。

そこで今日は『語りたくなるフェルメール』をご紹介します。(西岡文彦/著)

 

 

本名はヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト(Jan van der Meer van Delft)。彼は、レンブラントと並び、17世紀オランダのもっとも有名な画家です。

 

彼の存在が一躍有名になったのは、19世紀中期に入ってからでした。素性を明かさず謎に包まれていた彼は、”デルフトのスフィンクス”と呼ばれました。

1866年 にフェルメールに関する著作を出版し、フェルメール作品の再評価に大きな貢献をした人物、そしてフェルメールを”スフィンクス”と呼んでいたのが、フランスの美術評論家トレ・ビュルガーです。

 

今日は『語りたくなるフェルメール』をご紹介します。(西岡文彦/著)

この本の中で著者は「名画は語る-代表作に隠された時代と世相の秘密」と題し、フェルメール作品の謎を解き明かそうとしています。つまり、描かれている小物や服装、食べ物そして景色などから、その時代の人々がまたは彼自身がどのような生活を送っていたのか明らかにしようとするものです。

 

フェルメールは、神話や聖書や王族・貴族歴史の一場面を描く”歴史画家”を志していましが、オランダの絵画市場は宗教改革と市民社会の出現によって歴史画そのものの需要がなくなっていました。というのも、歴史画の顧客は教会と宮廷に集中していたため、17世紀のプロテスタント国(絵画で飾る偶像崇拝禁止)オランダに顧客は存在しなかったのです。

加えて、スペインからの独立以降に南部から亡命してきた商工業者らがオランダ経済に貢献したこととバルト海への中継貿易などにより、17世紀のアムステルダムは世界の金融・商業の中心地になったことで、経済が発展、市民が台頭し始めました。

 

 教会などから注文を受け制作していた絵画とは異なり、店頭売り込みを見込んだ既製品として作成するというプロセスに変化したことで、客層は一般市民となり、市民の生活を描く「風俗画」が発展することとなったのです。つまり、市民の台頭こそが今日の画商業を生み出したのです。

「歴史画」という格式高い絵画に憧れていたフェルメールでしたが、生活のため需要のある「風俗画」に移行せざるを得なかったというわけです。市民の何気ない生活の一瞬の場面を切り取り作品にした画家フェルメール。この本では、『牛乳を注ぐ女』や『真珠の耳飾りの少女』などの名画に描かれる人物や、食べ物に焦点を当て、作品自体の解説と共に描かれた当時の時代背景を読み解いています。

 

牛乳を入れる瓶から、牛乳注ぐ女性が着ている服から、その女性の日焼けのあとから、どんなことが読み取れるのか、気になってきませんか。

この一冊は、絵画を楽しく鑑賞できる方法を教えてくれるはずです。

  

芸術の秋、みなさんもフェルメールから絵画鑑賞始めてみませんか?

 

 

 

 

2024年 (令和6年)
11月28日(木)
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休館:火曜日(毎週)、金曜日(最終週のみ)